十王パノラマ公園から眺めた十王湖
|
常磐自動車道十王トンネルの真上に開設された公園。シンボルとして建設された高さ 20mの
展望塔の外観はステンレスで銀色に輝く。最上部の展望台から、眼下に十王ダムと湖、遠くに太平洋や多賀山地
を眺望することができる。
|
十王ダム
|
十王川は友部地区を中心として これまで度々洪水をおこした。1971年(昭和46年)
8月31日~9月1日の台風23号では 堤防が6ヵ所で決壊した。
洪水予防のために 流水を正常に維持すること、十王町・日立市の上水道用水、十王町の工業用水、下流の農地
への灌漑用水を供給することを目的として 十王ダムが建設された。
ダム湖に水没することになった大原地区は 山腹部に土盛り造成された土地に集落ごと移転した。
ダムは重力式コンクリートで、堤高 48.6m、堤頂長 205.5m、集水面積 37.7km2、総貯水量 286万m3。
海岸まで 4kmは 茨城県内で最も海に近いダムである。
|
川尻川発電所
|
1921年(大正10年) 茨城電気(株)によって開設され 発電を始めた。
1950年(昭和25年)に電気事業の再編により 東京電力(株)の所管となる。
さらに東京電力は 合理化策の一環で小規模発電所を統合、姫川電力(株)などの子会社として独立させたため
川尻川発電所も 姫川電力(株)茨城発電事務所(日立市東河内町良子)の所属となった。
水路式発電所で 取水口は大字高原字古田にあり、水量は毎秒 1.3m3 落差 83.3mで 最大出力 800kW。
この発電所は常時運転をしているが 非常時に主に北茨城から日立で使用する。
|
大原道標
|
『是より/右 ともべ道/左 とうせんじへ』と記され
高原方面からの旅人に 友部や東泉寺への道案内として 1703年(元禄16年)に建てられたもの。
十王町域では古い時期の石造物であり 茨城県内でも古い部類の道標である。
十王ダムの建設にともない 現在は湖畔の遊歩道に移設されている。 |
大原舟石
|
月の平バス停近くの山中にある。
舟の舳先が土手から突き出したような形で 東を向く。舳先に 安永年間に建てられた
「石裂山」の石碑がのる。
また下に 明治20年代に建てられた 地蔵尊2体と 観音像1体があり 今も大原地区の人が
お祀りしている。
|
カドミウム防除記念碑
|
1985年(昭和60年)から 十王町・茨城県・日本鉱業(株)・地権者等
の協力により 高原地区のカドミウム汚染面積 23haに 客土、区画整理、用排水路・堰の整備
などの土地改良事業が実施され 2000年(平成2年)に竣工した。
|
曙橋道標
|
『右 小里/左 入四間/道』と記された
高さ約60cm の自然石の道標が、黒田地区へと至る旧道の入口に建っている。
小里は常陸太田市(旧里美村)方面 入四間は御岩山権現(御岩神社)の地である。
裏面に『信州伊葉(=菜=那)郡小出村 鬼頭□右衛門』とあって建立者名と考えられる。
長野県出身の「高遠石工」の一人であろう。
|
黒坂地区 稗蔵
|
黒坂村稗倉 (現 黒坂地区・黒前神社共有倉庫)。
稗倉の外面および内部に墨書があり、最古の記載事項は 1862年(文久2年)である。
記載位置が 正面奥壁中央の柱であり、庄屋・組頭・大工の記載があることから、
建設時期を示すものと判断される。
また壁面や梁に、幕末から大正期にかけての穀物関係の記述があり、稗倉全体が
貴重な文化財である。
|
竪割山 山頂
|
竪割山 は
日立市と高萩市の境にあって 標高 658m。
山頂 (十王町黒坂) には黒坂命
を祭神とする黒前神社がある。
|