日立の徳川家史跡12

暇修館


 斉昭は天保の藩政改革の一つに文武の奨励を挙げ、領内の15ヶ所に郷校を開いたが、 そのひとつが天保10年(1839)に開設した暇修館である。
ここは郷医大窪光茂が大窪城跡の自分の土地の一部を提供して建てたもので、はじめ 興芸館と呼ばれ光茂が初代館長になった。
翌天保11年(1840)には斉昭が訪れて光茂から医書の講義を聞いている。
明治になって廃校後は村役場などに利用されたが、昭和45年(1970)復元され市が 史跡に指定している。

大窪城跡の一角にある正伝寺は曹洞宗に属し、この地を治めていた大窪光正に よって応永3年(1396)創建された。
光圀は元禄11年(1698)に参詣している。この寺は明治はじめに焼失したが、その 跡地に旧城跡碑が建てられ、大窪氏の事跡を記している。

      参考文献:「歩いてみよう土のぬくもりを大久保」


暇修館                       正伝寺

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