日立の主要な徳川家関連年表



それぞれの場所や事項については日立の徳川家史跡を参照のこと。
                            
西暦
和暦
藩主
事項
1609
慶長14
12
頼房
徳川頼房水戸藩主となる
1630
寛永7
8
頼房出羽三山より招魂し御岩神社を創建する
1641
寛永18
7
寛永検地に反対した照山修理処刑される
1645
正保2
1
頼房水木に異国船遠見番所を置く
1663
寛文3
7
光圀
光圀照山修理の名誉を回復し四脚門を許す
1665
寛文5
11
光圀田中内の大内家を訪れ漢詩を詠む。以後しばしば訪れる
1666
寛文6
4
光圀社寺改革を行い一村一社とする
1673
寛文13
8
光圀助川の長山家に宿泊後蚕養神社に詣で、川尻港で鰹漁を見る
大雄院で連山禅師と月見の宴を催し、杉室14景を選ぶ
入四間の関家を訪れ御岩神社に参詣、かびれ神社造営を命じる
1683
天和3
7
光圀玉簾寺を建立し参拝する。貞亨3年(1686)光圀観音像を寄進する
1689
元禄2
8
光圀諏訪神社に詣で水穴に入る。万年大夫夫妻像を寄進する
1690
元禄3
12
光圀致仕して藩主を綱條に譲り大内家で越年する
1692
元禄5
7
綱條
光圀長山家に宿泊、会瀬から川尻、久慈浜で遊ぶ
1693
元禄6
3
光圀水木浜へ行き泉神社に参詣する
5
光圀大久保の覚念寺を訪れる
9
光圀大内家に泊り家臣と久慈9景を選び詩歌を詠む
1694
元禄7
10
綱條御岩神社に参詣する
1695
元禄8
4
光圀大甕神社社殿を宿魂石の上に作らせる
9
光圀神峯山に登り日の出を見る。神峯神社に詣で宮田・助川・会瀬の鎮守とする
会瀬浜への神幸がはじまり、後年ささら・風流物が演じられる
1696
元禄9
11
光圀宝塔寺を成沢に移し、如来像を寄進する
1697
元禄10
9
光圀安藤朴翁らを伴い川尻や、田尻の栄蔵小屋跡を訪れる
1698
元禄11
3
光圀大久保の正伝寺を訪れた後、河原子などで遊ぶ
4
光圀相賀を会瀬と改名させる
1700
元禄13
12
光圀何度か大内家に泊るが、年末西山荘で逝去する
1726
享保11
2
宗尭
宗尭御岩神社に参詣する
1791
寛政3
3
治保
治保御岩神社に参詣する
1808
文化5
1
治紀
治紀水木・川尻に番小屋を作り海防にあたらせる
1809
文化6
8
治紀御岩神社に参詣し関家に泊り、水木・川尻・会瀬などを巡視する
1824
文政7
5
斉脩
大津浜に英人が上陸したため、川尻・水木などで警戒にあたらせる
1833
天保4
8
斉昭
斉昭諏訪神社に参詣し、諏訪に梅林を作らせる。長山家宿泊後大雄院を訪れる
関家宿泊後御岩神社・玉簾寺に詣で、かびれ山・高鈴山に登る
1836
天保7
8
斉昭大沼陣屋を作らせる
12
斉昭助川に海防城を築き、家老山野辺義観に守らせる
1839
天保10
6
斉昭郷校として大窪城跡に興芸館を置く(天保15年暇修館と改名)
1840
天保11
6
斉昭助川海防城と大沼陣屋で大砲早撃ちを観閲する
1841
天保12
3
斉昭関家を訪れ高鈴山を経て助川海防城に入る。
更に会瀬浜より久慈浜から水戸へ帰る
11
斉昭天保検地を実施する
1843
天保14
12
斉昭社寺改革を断行し、多くの寺院を整理する
1844
弘化1
4
斉昭幕府より隠居を命じられ、慶篤に藩主を譲る。
腹心藤田東湖らも謹慎させられる
1849
嘉永2
3
慶篤
斉昭が藩政参与を許される
1853
嘉永6
6
藤田東湖が蟄居を許され河原子・泉ヶ森などを訪れる
8
ペリー来航により、川尻・初崎・久慈などに砲台を設ける
1864
元治1
3
藤田小四郎等の天狗党が筑波山で挙兵する
8
山野辺義芸勢が諸生党と石名坂・金沢で戦う
9
助川海防城が天狗・諸生の争いにより落城・焼失する
1867
慶応3
12
徳川慶喜が大政奉還し、王制復古となる
1869
明治2
11
昭武
昭武が日立地方を巡視する
1871
明治4
7
廃藩置県により水戸藩が廃止され、水戸県、後に茨城県となる
   

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