01 大煙突故郷のシンボルだった頃の勇姿


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  日立市は、久原房之助氏が日立鉱山を近代的な経営 思想開発したことをきっかけとして 発展したもので す。しかし、大雄院の製錬所の拡大とともに発生し た煙害は、地元日立、 入四間、沢平をはじめ周辺の 町や村を悩ませ、入四間では那須野へ一村移転を真  剣に討議したほどでした。

 この煙害も、大正3年12月に当時世界最高の高さを誇る大煙突が完成すると、この問題も 解消に向かいました。一生を地元の煙害問題の解決に尽くした
 入四間の、関 右馬允氏も「煙害問題昔話」の中で 「こんな偉大な建造物を地球の基盤に 取り付けて、 幾万の人間の災害を軽減除去することは、人間とし て至高至大の生き甲斐ではあ るまいかと賛辞を呈しています。

 しかしこの大煙突も78年の風雪を経て平成5年2月19日早朝倒れました

(樫村  篤)

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