時間軸の中での我がパソコン生活

小田切  亘
 
2001-03-14
 この世に生を受けて60有3年、最近ヒトゲノムや遺伝子の話が賑やかだから若しかするとという迷 いも完全に吹っ切れてはいないものの、まあ残りもうまくいっても30年程度と覚悟を決めて、これが 我が人生のすべてである。 ふるさと信州から初めて社会人として日立にきたころ、未だコンピュータは始まったばかりだった し、その後インテルからマイコンが世にでて今年がちょうど30年目というから、その進歩はまことに 素晴らしい。これからの30年でどんな技術の革新があるのか、それを見届けないうちは死ぬにも死ね ぬと、それだけが自分の生きる原動力になっている。

 珍しく雪の多い今年、今朝も窓越しに昨夜の雪が芝生や玉造りの伽羅木に白い覆いを掛けている。 ここ日立市の石名坂町に80軒余りを数える赤羽根団地も、造成から30年が経過して、ご他聞に洩れ ず最近とみに高齢化が進んできた。昨年暮れより老人会「赤羽根悠遊クラブ」の活動が活発になり、 さる一月には初めての「元気でウォーク」を実施した。

 団地をでてすぐ縄文〜大和時代と伝えられる 西の妻古墳、坂下小の崖下には2万から数千年の歴史を語る地層があらわになっているのを眺め、南 高野貝塚史跡公園から、南高野鹿島神社と周り、旧相馬街道をたどって戻ってくるという、素人案内 ながら頗る付きの好天に恵まれたご近所歴史散歩であった。 この街道の途中では、普段は知らずに通り過ぎていた人も多かった、坂下公会場の前に注連縄(し めなわ)をつけた榎の木に、73目ごと1200年の歴史を伝える金砂神社磯出神事を話題にし、石名坂 宿の西行法師(12世紀)の歌碑では「世の人のねざめせよとて 千鳥なく 名坂の里の近きはまべに」 のうたに、ごく最近までこの近くまで海が入り込んでいたことが偲ばれた。
 思えば赤羽根と丘続きの 久慈割山には数百万年前と伝えられるナウマン象の化石も発見されたとか、改めていま毎日のわが生 活を載せ、毎夕の散歩で踏みしめているこの大地に、化石を残した千万年前から数百万年前、地層の できた2万年前から数千年前、古墳や横穴墓群を残した3000年前から数百年前と過去の時間軸を対数 目盛りになぞってみて、わが人生の60年やパソコンの30年はほんのつかの間に過ぎないことを思い 知らされるのである。

 こうして考えるとき神武天皇は別枠として、年号が初めて現れたという大化が、西暦で645年、日 光より古いというので少し異論もあるが、806年に宝珠和尚が比叡山の山王権現を金砂山に勧請したとい うことや、小祭礼が815年に始まって7年目ごと196回を、大祭礼が851年に始まり73年目ごと16回を 数えるということに、改めてこの礒出神事の歴史の長さを思い知らされるのである。 次回大祭礼を平成15年3月に控え、このまたとないチャンスに興味を抱いて一昨年暮れ発足の「金砂大 田楽支援の会」に名を連ねた。
 最初に見た東金砂神社に伝わる絵巻物は140年前の文久年間の礒出のもので、 パソコン道楽の慰みにこれをスキャナで取り込み、連続映像とすることに成功しインターネットのホームペ ージに乗せた。その後ヒョンなことからこれを巻紙風に印刷することに挑戦、巻紙の扱いやら、軸物作成で は本職の月澤さんや村田さんのご助言で、どうやら複製品ができた。これが思わぬ反響で多くの人からご依 頼をいただき、暮れから連日我が家のプリンタの負荷になった。ざっと勘定してみると幅20センチの写真 を長さ730メートルも印刷したことになるから、我ながらよくやったものだと思う。今から75年後、我が 生命はこの世にないことはほぼ間違いないが、もしこの複製の絵巻物を見てくれる人がいるとしたら、その 人はどんな社会の中でどんな生活をしているのだろうか。  
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