ノン ・フィクション(事実,真実)

フィクション(作り話,創作)
 金谷 俊治
 楽しみにしているテレビ番組の一つに 『その時歴史が動いた』がある。去る6月9日と16日に 2回に亘り、『日露戦争100年』の特集、即ち「二百三高地の悲劇は何故起きたか」,「日本を救った極秘電報154号」が放映された。ご覧になった方も多いと思う。この番組は史実に基づくノン ・フィクションであろう。

 日露戦争は1904年2月に勃発し1905年9月のポーツマス講和条約締結をもって日本の勝利で終了した。今年が戦争勃発から100年目ということで、記念行事が催されたり、特集が組まれたりしている。因みに先日レンタルビデオ屋から「二百三高地」を借りてきて改めて観た。

古い映画をビデオ化したもので満州軍総参謀長児玉源太郎:丹波哲朗,中将第三軍司令官乃木稀典:仲代達矢,元老伊藤博文:森繁久彌,明治天皇:三船敏郎等々そうそうたるキャストということもあり、息をのみながら3時間がアッという間に過ぎた。

この映画(ビデオ)は勿論フィクションであり、児玉や乃木のセリフ,会話は大部分創作であろう。司馬遼太郎著「坂の上の雲」は歌人正岡子規,秋山好古(満州軍騎兵隊長 のち陸軍大将),弟秋山真之(連合艦隊作戦参謀=“本日天気晴朗なれども波高し”の作で有名)の3人を中心に明治維新から日露戦争に至る勃興期の明治を描いた歴史小説であるが、その著書のあとがきに次の言葉がある。

『事実というのは作家にとってその真実に到着するための刺激剤であるに過ぎない のだが、しかし「坂の上の雲」に限ってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはならず・・・云々』前置きが長くなったがこの駄文の主眼はこの点にある。私は最近時間にゆとりができたことから、小説を読むようになったが、

恥ずかしながら今日まで大誤謬を犯していた。即ち歴史小説は史実や文献に基づいて書かれている筈であるから事実だったのだろう,との思い込みである。例えば吉川英治の「三国志」は陳寿の三国志,羅貫中の三国志演義を、また新 ・平家物語は鎌倉前期の平家物語や源平盛衰記等を基に著したものだろう,と考えていた。(これらの文献は読んでいない。)

 その思い込みのために、次のような“事件”を今日まで史実あると信じてきた。(但し真実であったのか嘘であったのか今もってよくわからない。) 池波正太郎の真田太平記によれば、関ヶ原の戦いの時、長良川の船橋で真田の女しのび“おこう”がすんでのところで徳川家康の首を打ち損ねたこと。

同じく大坂夏の陣で、真田幸村が家康の一軍を追いつめ、一時は家康は自害を決意したが、間一髪のところで秀忠の本軍に追いつかれ打ち損なったこと。 宮本武蔵に関しては多くの作家が書いており、私が読んだだけでも津本 陽,童門冬二,吉川英治,司馬遼太郎があるが、その他村上元三,五味康祐,柴田錬三郎他がある。ところで吉川英治によれば、

(映画,大河ドラマでお馴染みにつき、この作者の物語が史実とツイ思っていた。)
吉岡清十郎,伝七郎との蓮台野,一乗下り松での決闘は武蔵の勝ちとあるが、司馬遼太郎の真説宮本武蔵によれば、これらの決闘は京都所司代板倉伊賀守の検分で“相打ち”であった由。しかも名前は清十郎,伝七郎ではなく、

直綱,又市郎である。また沢庵和尚や又八,お通さんは武蔵にはつきものと思っていたが、津本 陽の「武蔵と小次郎」にはこれらの名前は登場しない。更に吃驚したのは、武蔵と小次郎は、蓮台野の決闘の時から顔見知りだと思っていたのに、津村 陽によれば、巌流島の戦いで初めて顔を合わせたとある。

史実,真実はどっちだったのだろうか。そもそも読書を始めるにあたり、歴史の勉強にもなるからと考え、歴史小説から入ったが、フィクションは所詮フィクションに過ぎないと認識した上で読まないと、とんだ誤認をすることになると気が付いた。

ついでながら弁慶が義経の家来になる決定的瞬間は、京の五条の橋の上とばかり思っていたが、新 ・平家物語によれば、これとは異なり、義経が弁慶の母を匿っている隠れ家となっている。さて史実は。 次に気が付いたことは、「三国志」や「劉邦と項羽」等の中国の歴史小説も読んでおかないと、

各小説に引用される言葉の背景や意味が正確に理解出来ないということである。例えば諸葛孔明(劉備玄徳の軍師、丞相)なる人物は「真田太平記」,「世に棲む日日」,「坂の上の雲」他にひょっこりと引用されている。 歴史小説を読む心得は、当たり前のことながら、如何に歴史上の人物が登場しようとも、史実とは限らないということである。

作者の匙加減で、偉人にも凡人にも、善人にも悪人にもなり得る。私達が教えられてきた乃木稀典は明治時代の偉大な陸軍大将であるが、(明治天皇の大葬当日、婦人と共に自宅で殉死したことも民衆の評価に影響か。)司馬遼太郎によれば、ホントにボロクソ。旅順,奉天他の作戦に於いて悉く惨敗。参謀伊地知幸介と共に余りにも無能と烙印。数千の人命を失なわしめたという。

堪りかねた児玉源太郎は二百三高地攻略に於いては、乃木に代わり、彼が実質的に指揮を取ったとある。 「鶯啼くよ平安京」(平安遷都794年)とか、「苺の葉っぱ」(秀吉の刀狩り1588年)とか、歴史の勉強ならいざ知らず、歴史小説を読むとき、事実がどうのこうのとあまり詮索しないほうがよいのであろう。

 最後にこの半年間に読んだ本で最も印象に残ったのは、吉川英治の「三国志」,「宮本武蔵」、それに津本 陽の「勝 海舟」である。リクツヌキで面白かった。


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