3.11震災体験
大越 健児 
 
 当日午後、ケーズデンキに徒歩で買い物に出かけ、帰路団地入口の坂下に達した時地震に遭遇した。ふとん屋の大きなブリキ看板がガタガタと物凄い音を立て たことで地震と判った。坂上を見ると家々が揺れてゴーゴーと大きな音を発しており、道路の地面が大きくうねっているのがはっきりと見られた。
 大きな地震と察し、10分ほど佇んで居てから急ぎ帰宅した。家の北側、大通りに面した方に比較的に薄っぺらなブロック塀があり、それが崩れたのではない かと心配されたが、帰宅しまず確認した処異常がなく一安心。我が家は岩盤の上に建った、スレート葺の箱型和式建物で、幸いにも建屋は外壁に若干ひびが入っ た程度で被害がなかった。
 家の中も2階の本棚からかなりの本が床に落下したのと、食堂の食器棚の中で数個の食器が一段落下したこと、客間の飾り棚内でこけしが倒れた程度で、比較 的に被害が少なかった。家内は一人で家に居たが、始め屋内で壁につかまったりしていたが、揺れが長く続くので驚き外に飛び出して、庭の百日紅の木につか まって居たという。

 娘は東京の六本木の事務所にいたが、地震直後外に出て、その後直ぐに電話をくれ、お互い無事なることを確認した。浜松に居る息子からも暫くして電話があ り、無事を確かめ合った。夜になっていわき市に居る妹たちから電話があり、家はかなり壊れたが人的被害はないことが確認できた。我が家の電話は旧式で、電 話ケーブル直結のプッシュホンであったため、停電には関係なく電話が通じたこたが幸いしたと思う。

 問題はその後のライフライン停止であった。電気、ガスは即停まり、水は間もなく断水するとのアナウンスがあってから風呂への充水や飲料水の確保の余裕は あったが、夜中に断水した。それぞれが復帰したのは、電気が14日午前中、ガスは16日、水道は20日の夜中であった。非常用食品や飲料水、非常時用トイ レ用品、ローソク、懐中電灯、携帯ガスコンロとボンベなどある程度の備えがあり、パニックにはならずに済んだが、2日後から飲料水の給水を受けるために行 列に加わり、14日からはトイレ用水が不足してきたので中成沢町にある弁天池より毎日生活用水を採水することになった。食料品も無くなり、15日からは買 い物の行列に加わるようになった。非常事態への備えをしてきた積りであったが、「備えあれば憂いなし」には程遠いものであったことが痛感された。


戻る